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日本人完全理解書

「もう日本人の事で悩まない」現代日本人に悩む日本人嫌いの日本人の為の提案書

日本人が冷たい理由

日本人が冷たい理由は色々な原因があると思いますが、その中のひとつは、人に優しくしても日本人はお調子者なので、それを踏みにじるからだと思います。ようするに悪循環なのです。優しければ優しい程、優しくすればするほど、自分が損をすることになるからです。日本に住むと性格が悪くなります。人間らしく人に接するほどに、自分が損するからです。例えば、みんな本音で話さなくなるのも、人の内面を無闇に攻撃したり、揚げ足をとって集団で馬鹿にしたりするからです。「日本の文化」ではありません。単純な悪循環によって生じた状況です。例えば、普段優しかった人が、いよいよ我慢することをやめて、人の気持ちを踏みにじる人と同じようにその相手を扱うようになると、その人はびっくりしたり、逆切れしたりするのです。根本的に豊かに生きる為には互いに少しずつ優しくしたりすればいいだけなのですが、日本人にはそれができないのです。先述したように優しくすると不利になるので、器の小さい日本人達はそこを徹底的に利用しようとするわけです。ハイエナというのでしょうか。いや、ハエでしょうか。ともかく、以上のような悪循環が様々な側面でおきているのが日本人の社会です。例えば、西洋のように女を女らしく紳士的に扱っても、日本の多くの馬鹿女は、勘違いして調子にのってしまうのですね。だから紳士的に扱うことに意義を見出せなくなるのです。だから日本の男に本当の紳士的な人はあまり居ないのです。

 

で、何故、以上のような事が起きているのかと云うと、このブログで散々解説してきた通り、根本的に「論理」が無いからです。もう一度説明しますが、論理的思考ができないと、「事実に基づいた想像力」が働きません。そしてこのタイプの想像力が無いと、必然的に視野が極端に狭く成ります。つまり、相手の事情や気持ち、立場などを「想像」して、理解することができないのです。だから、自分の視点の考えしか持てなく成ります。こういう原理でモラル/倫理がその人に生まれないのです。だから、以上のような悪循環が起こります。論理的思考ができないから、想像力も無い。想像力が無いから人の気持ちや立場も分からず、根本的なお互いの関係性も理解できない。だから倫理というものが無い。モラルが生まれない。

 

本当に日本に住んでいると頭が腐っていくのが分かります。

日本人と関われば関わる程、思考回路がおかしくなり、人間としても冷たくなっていきやすい。非常に気をつけないといけない。しかし、民主国家での暮らしのように、普通に人に優しくすることすら許されない、というか不利になるので注意しないといけない。彼等と関わる時と場合には、だいぶ複雑な戦略を立てないといけないのです。本当に面倒なことです。だから日本人ってけっこう閉ざされているんですね。これも悪循環です。無自覚な傲慢で攻撃的な人が多いから、関わらない方が楽しく生きられるわけです。日本にニートが多いのもこういうところが理由のひとつでしょう。

 

日本人の人の呼び方にも性格の悪さが現れています。

「さん」付けされている時は、まだ同じぐらいのレベルか上に見られています。

「くん」付けされたら、もう見下され始めています。

「ちゃん」なんてつけられたら、だいぶ下に見られてます。

 

特に、男が男を呼ぶ時の「さん」か「くん」かで、相手が自分をどう見ているのかだいぶ分かります。

 

「さん」から、急に「くん」に変わっていたりすることもあります。

そういう時は相手の中で何かがきっかけで、見方が変わったのです。

 

 

 

日本人は常に上下の中で生きていて、対等に人と関わる楽しさや気持ちよさ、豊かさを知りません。

 

自分達で生きづらい国にしているのですから、馬鹿としか言いようがありません。

でも、かれらはこういう環境で育って来て、これを日本の文化だと妄信して、全く疑いませんから、今後も改善されることはないでしょう。

 

人の気持ちや立場も想像できない彼等に、本当に「空気を読む」ことができたり、「察する」ことができると思いますか?

 

違いますよね。

彼等は「空気を読む」ことも、

「察する」ことも

実は全然できていないのです。

コミュニケーションが得意な欧米の人達の方ができます。

ただ、その空気を読んだり、察したりした、「後の行為」が文化によって異なるだけです。

 

日本人は、この「後の行為」までいけてません。

そもそもとして、読めていないし、察することもできていないからです。

それ「以前の行為」なんですね。日本人がやっていることは。

面倒くさいことが嫌いで、怠け者な日本人が、空気を読んだり、察したりすることはできません。そもそもそれだけの知性がありませんので。

 

例えば、人を悪く扱えば、いずれその人からは信頼されなくなり、結局自分が損をするという事が分かっていないのですね。長期的視野も想像力の欠片も無いからです。

 

バナナが目前にあれば、すぐ食べてしまう◯◯と同じです。

動物ならそれでも良いのですが、

普通の人間なら、「これは誰のバナナかな?食べてもいいのかな?」

とか色々、状況から想像したり、疑問を持ったり、実際にその疑問を元に言動を改めたりできるわけです。

もちろん、これは単純化した例え話ですが。

 

 

想像力と論理が無いと、抽象的な思考もできません。

だから、日本人に少し抽象的な話をしても、全く会話になりません。

すぐに「具体的に言って」とか言い始めます。

しかし、具体性と抽象性というのは、文脈や論題によって、異なるのですね。

コンテクストによって、抽象的な話が具体的な話だったりするわけです。そこでコンテクストを無視した、言語的に具体的な例え話を出してしまうと、そもそも趣旨が変わってしまったりするわけです。しかし、日本人がよくやるのは、その例え話でしかない、具体的な話に徹底的に執着し、そこを追究し始めます。「追究」ならばまだ良いのですが、実際は9割が、実態として「揚げ足取り」です。こんなんだから、一般的に日本人とは議論や論理に基づいた普通の「会話」すらできないのです。では、何が残るかというと「意味の無い」お喋りです。

 

まあ、話せばまた長く成ってしまうので、この辺りで終わります。

 

 

 

とにかく、冷たい理由は、そういう悪循環があることと、根本的な知性の問題です。

我々は、その悪循環に呑まれないように非常に気をつけなければなりません。

しかし、いつまでも彼等に「優しく」しても本当に損ばかりすることになるのです、そこは見切りをさっさとつけるのが賢明です。

 

日本に「斬り捨て御免」があった理由が非常によく分かります。

俺も時代が時代なら、お調子ものの現代の馬鹿日本人を全員斬ってます。

海外なら、まだ殴らたり、歯を折られたりするので、良いんです。

しかし、現代の馬鹿な日本人は絶対に殴られないと知っているから、馬鹿で性格悪いくせに、調子に乗って人の優しさを踏みにじるわけです。これは男も女もです。

 

日本人はハッキリ言って無礼ですから。

絶対に、昔の日本人の「礼儀」と現代の馬鹿どもが思う「礼儀」は全く別物です。

現代の日本人は本当に無礼です。それは以上に説明した通りです。

上辺だけなんですね。

 

斬り捨て御免があった理由が非常によく分かります。

何もされないから、調子にのるやつがいっぱいいるのが日本です。

まともな人は我慢しないといけないのですね。

 

感謝の気持ちだって、皆、連呼はしますけども、本当の意味での「感謝」ができている日本人はほとんど居ないです。感謝するには知性が必用不可欠だからです。論理が必用だからです。

 

きりすて‐ごめん【切(り)捨て御免】

江戸時代、武士に与えられていた特権の一。町人•百姓などが無礼な行為に及んだ場合、殺しても処罰されなかったこと。転じて、弱者に対し、特権を用いて横暴なふるまいをすること。

 

 

つまり、現代では、違う方法で彼等を「切り捨て御免」しなければなりません。

彼等の無礼に、無礼で応えても以上に説明したように、あまり意味がないのからです。

馬鹿の相手とは本当に面倒なものです。それが9割ですから、不思議な状況です。