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日本人完全理解書

「もう日本人の事で悩まない」現代日本人に悩む日本人嫌いの日本人の為の提案書

論理と倫理、人格の関係

先ず、これまでの記事を読んでいない人の為に簡潔にお浚いします。

 

「論理」は全てに於いて最も重要です。

そして、論理は倫理の「親」でもあります。

倫理は、論理の「子供」です。

カタカタで表現すると「ロジックはモラルの親」です。

 

 

さて、今回の本題に入ります。

一般的な日本人の性格が「悪い」と言える側面や部分があります。

これは単純に「文化の違いだから〜」と思考停止をして、言い訳し、見過ごせるものではありません。

 

それは、前にも解説しまたが「論理の欠如」が原因です。

論理の有無というのは、その人間の倫理や人格に深く関係しているのです。

論理的思考がベースにあるか無いかで、その人の人と関わる時の性質がまるで変わってくるからです。

論理というのは、前にも説明しましたが、真実をベースにしているものです。噓の世界の「法」が破綻した妄想を論理的思考とは云えません。

 

ですから、論理的思考が苦手な日本人は、この妄想的な「思考」に陥ってしまうのです。だから「決め付け」、「レッテル張り」、「根拠のない言いがかり」、「噂話」、「常識を妄信」などのような事をしてしまうのです。

 

これが性格が悪くなる現象の仕組みです。

つまり、性格というのは、モヤモヤした曖昧な感情的なものではなく、具体的な論理が関係しているのです。もちろん、人間の内面はこれだけで出来ているわけではありませんが、この論理の有無でかなりその人間の性質が変わるのです。

 

論理は、論理を生み、倫理と論理が、マナーなどようなものを更に派生してゆきます。

 

倫理の性質により「人格や性格」の性質も変わるのです。

性格が悪くなるのはこの辺りが理由です。

本の学校でいじめがほぼ必ずあるのもこの辺りが理由ですね。

理由と切っ掛けや原因は違いますが、その個人に焦点を当てた時の脳内の仕組みをこういう事だという意味です。

 

 

ですから、論理的思考ができない人に論理的に会話しようと向き合っても不毛なわけです。だから、議論にならないのです。

 

同じステージやルールでその会話という「ゲーム」をしていないからです。

こちらが論理的に会話をして互いの考えを知ろうと努めても、相手がそれを無視し、ただ自分勝手な妄想で攻撃をしてきたり、決め付けてたりし、更にこちらの言い分も全く理解しようとしない傲慢な姿勢では、会話は成立しませんね。

 

議論ができないというのは、ある種、傲慢である証拠です。

ですから、日本人が議論が苦手と云うならば、それは日本人は傲慢であると云えるのです。

 

テレビの「賢い」とされる人達を見てもそうですね。

私はテレビは無いので見てませんが、たま〜にYouTubeなどで何かを検索しているついで日本の番組を観ることがあります。

そもそも会話にも礼儀の心や敬う姿勢、相手を理解しようとする謙虚な姿勢、マナーや品性が必用ですが、此れ等は全く感じられません。

 

武道をやっている人なら知っていますが、戦いの前に礼をして、戦いの終わりにも、礼をして、敬意を表現するという当たり前のことがあります。つまり、日本人には元々こういう文化はあるはずなんですね。だから俺は武道を本気でやった事がある人は大好きです。彼等は本当に誠実なんですね。もちろんそれぞれ個性はあるので皆同じではありませんが。

 

しかし、一般の日本人にはこの誠実さが見受けられないことがよくあります。まあ半々ぐらいでしょうか。素晴らしい日本人もたくさんいます。ちょっとした関わりの時は全く問題になりません。しかし、深く関わる時にどこまで誠実であるかが問題なのです。

そこにはある種の「強さ」も必用の様です。これは私が大人になってから思い始めたことです。知性や人格、誠意などには残念ながら「強さ」も必用なのですね。しかし、普通の人は「修行」などしませんから、特に現代人で修行をするとなると一流の武道家か、かなり「変人」と見られる人かですね。格闘家だって日本ではどちらかというと「変人」として見られている様です。一般の人はすぐに軽い口で「ストイックだね」とか言いますからね。当たり前のことをやっていてもです。

 

 

まあ、とにかく、

論理の有無、

論理的思考がどれだけしっかり出来るか、出来ないかで、

その人の倫理、品性、性格、人格の高さや性質に直接影響するということです。

それから、強さも必用。

 

日本人の性格が何故悪いのか、と悩んでいる人は参考にしてみてください。

だいたいの事例の場合は、以上のことが原因として根底にあると思います。

 

何故、この仕組みを理解することが大事かというと、

自分がイライラしない為です。

自分が日本で生きる上でストレスを溜めない為です。

その為に、この記事を書きましたし、このブログを書いています。

 

「それの仕組み」を理解すれば、それが「当たり前のことなんだ」「しょうがないんだ」と論理的に自分が分かるからです。そうすれば、相手に期待することが無くなります。だから、ストレスも減ります。

 

例えば、道を歩いていて、小さな子供が突然ぶつかってきたとします。謝らずに、何もジェスチャーもせずに、そのまま走っていったとします。それで貴方は怒りますか?べつに怒りませんよね?もしくは、そんなに怒りませんよね。相手は子供ですから。何故、怒らないかというと、子供というものの性質や仕組みが分かっているからです。期待してないんですね。

 

以上と同じようなことです。

違う例だと、

石ころにつまずいた時に、石に向かって怒りますか?人間の言葉で話し掛けますか?しませんよね?

 

以上の例えは少し極端ですが、わざと分かり易いように出しました。

論理的思考ができない人、妄想が激しい人、相手を理解しようとしない人、会話ができないコミュニケーション障害の人、言語障害の人、 と普通に会話するのはほぼ無理なことなのです。ですから、そういう人と関わる時は、自分が相手の性質やレベルに合わせないといけない。そういう当たり前のことです。それを、相手の年齢や見た目、表層的なところを根拠にして「この人は大人だろう」とか勝手に決め付けて、期待するから、「何でこの人はこんなに攻撃的なんだろう」とか「こっちの話を全然聞いてくれない」とか悩み、イライラしてしまうのです。

 

一般的な日本人の性質が分かれば、それに合わせてあげるしかないのです。

無闇に「正しいこと」を提示しても意味がないのです。

「対応」が必用なのです。

その対応の仕方は、自分のスタイルを見付ければ良いと思います。

しかし、自分のスタイルを決めるには、まずは、対応する対象の性質や仕組みという現実を知り、受け入れ、よく理解しなくてはならないのです。

 

もしくは、まったく、無視するというスタイルもありますが、それだとなかなか普通の社会的な生き方できないと思います。「変人」の生き方になります。それもありです。

 

 

 

 

それでは、今回は以上です。